electricalな、あまりにelectricalな

個人的に気になったバンド、楽曲などを紹介していく予定です。

koochewsen、新たな"戦"場へ……配信限定シングル「ヴィーナスの恋人/深海魚のマーチ」review

クウチュウ戦がkoochewsenへと変わりったり、由美子が匠杜に変わったりとこの数ヶ月の間にkoochewsenを取り巻く環境はファン内でも大きく変わったように見える。

「個性がなくなった」
「迷走してる」

そんな言葉もネットを見れば彼方此方と顔を出す。

Twitter上でVo.リヨは""である必要は無くなったと応えていた。勝ち負けの、その先を越えた先の音楽をしたいと言う。

そんなkoochewsen第1弾となる配信限定シングル「ヴィーナスの恋人/深海魚のマーチ」を聴いてみた。
その先の音楽とはどんなものなのか?それを確かめてみたい。



Koochewsen - ヴィーナスの恋人 Lover from Venus

今作表題曲である「ヴィーナスの恋人」は、「愛のクウチュウ戦」で顕著となったAOL的部分を残しつつ浮遊感漂うドリームポップやシューゲイザー寄りの音色を取り入れた野心作だ。

プログレッシブ寄りの技巧的な音色は全くもって形を潜め、リヨが愛するデヴィット・ギルモアのような哀愁漂うギターソロは存在しない。

「コンパクト」以降、新しいプログレッシブ・ロックを探求していったkoochewsenがたどり着いた音とは従来のプログレが持つ特徴を極力排して、それ以外でプログレ部分に表現しようとしている所ではないだろうか?

極力語彙を削ぎ落し、ベントラーのキーボードを前面に押し出したサビ部分は勿論、サビ前のギターの繊細な音色はそれこそプログレの醍醐味を感じさせる。


「愛のクウチュウ戦」以降、彼らがプログレバンドとして大事に持ち続けている叙情性だと思っている。
転調・変拍子・長尺であり壮大な世界観など…これらがプログレバンドの特徴の上、必須!という概念もあるけれど、個人的に一番大切なのは叙情的であるかどうかだと思う。

その点「深海魚のマーチ」は音色自体はジャズの風味を纏っているが、「ヴィーナス~」よりも”クウチュウ戦”として以前から持ちつづけてる叙情的な部分が顕著に表れている楽曲だ。

謡曲的な節回し、泣きのギターソロ、key.ベントラーカヲルのピアノソロは彼の敬愛する三柴理を連想させる。


話は脱線するけど、新●月というプログレバンドがいる。
このバンド、技術的な面の問題で技巧派寄りの楽曲が出来ない(結成当時の話)という理由から叙情性に訴えかけるフレーズで攻めた楽曲作りをしていた、という。(その叙情的フレーズ一点攻めをしたアルバム”新●月”はジャパンプログレの名盤なので是非必聴)

koochewsenは決して技術面が稚拙なバンドではない。確かに曲調は数年前の楽曲とは大きく様変わりしたが、その年数が彼らの演奏技術を高めたし、ガワが変わっても叙情的な部分を失わない限りやはり彼らはプログレバンドなのだ。


昨今の日本のバンド事情は細分化に細分化を重ねて最早ボーダーレスならぬジャンルレスと化しつつある。
その中で一プログレバンドが変わっていくのは最早当たり前でしかなく、プログレ本来の意味が持つ革新的・前衛的を常に体現しているように感じる。

最近のライヴでは「プログレ」時代の曲も入り乱れ、全てを含めて新しい”koochewsen”を形作っている。
リヨのいう””である必要がなくなった、というのはそんな彼らの楽曲のジャンルレス化を表しているのではないだろうか?

これから更にどんなプログレ(革新)を見せてくれるのか非常に楽しみだ。